祇園祭(夏祭り)の概略
臼杵祇園祭は、臼杵市内で行われる最大のお祭りであり、美しい自然と数多くの文化財に恵まれた城下町臼杵にふさわしい伝統行事です。
平成二十年三月二十八日、
このお祭りは、稲葉三代藩主信通公が寛永十九年(1642)海添五味浦の馬場に行宮を建て、四代藩主良通公が神輿一基と鳥毛槍五十本を寄進し御神幸の儀を斎行したことが始まりと伝えられています。御寄進の鳥毛槍五十本は、関ヶ原の戦いのおり、当時美濃国上八幡の領主であった稲葉家の戦利品とされ、稲葉家の武勲の象徴とも言うべきこの槍の御奉納に、稲葉家の御崇敬の深さが偲ばれます。
祇園祭が定例祭典となったのは、承応元年(1652)からで、旧暦の六月七日~十五日までと定められていました。(戦後新暦祭日を採用するにあたり七月十七日~二十三日までと改めました。近年神幸祭・還幸祭を日・土曜日に充てるようになりましたが、十七日の御日が含まれる一週間を選ぶことにしております。)
その後、六代藩主友通公の頃から祭礼の規模を広げ、城下八町の山車行列などの催しも始まりました。この山車は踊山車ともいわれ、当時は御旅所前に駐めた山車の上で芝居の奉納も見られました。このように藩と領民が一体となって年々盛大になりつつ次第に現在の祇園祭の型ができあがってきたものと考えられます。
県下では、中津祇園祭・日田祇園祭とともに三大祇園として知られ、多くの観光客が訪れています。