2022年 祇園祭神幸行事について
昨年来の新型コロナウイルス感染症の蔓延により、密閉・密集・密接を避ける新しい生活様式が要請されているなか、例年賑々しく執り行って参りました臼杵祇園祭について、誠に残念ではございますが、本年も再延期せざるを得なくなりました。
一週間の大祭期間中に感染者が出た場合、濃厚接触者の数が多く、還幸祭ができなくなる可能性がありますので、神幸行事を来年七月に再延期することに致しました。
祇園祭は、昔から夏越大祭として、夏越の大祓を行い、夏の疫病退散を祈願してきた由来もあり、本年予定していた一週間については、八坂神社本社において、悪疫退散祈願祭として、予定表のとおり執り行います。
なお、大祭期間中は境内に疫病よけの由来をもつ茅の輪を設置致します。
また、鳩くじは致しませんが、粟おこしは撤饌として授与しております。
時節がら、体調に合わせて、マスク着用の上、密接・密集を避けてご参拝下さい。
皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。
悪疫退散祈願祭について
拝殿は換気をよくしておりますので、朝拝・大祓行事にはご参加いただけます。皆様と共に悪疫退散の祈願を致したく存じます。
祇園祭(夏祭り)の概略
臼杵祇園祭は、臼杵市内で行われる最大のお祭りであり、美しい自然と数多くの文化財に恵まれた城下町臼杵にふさわしい伝統行事です。
平成二十年三月二十八日、
このお祭りは、稲葉三代藩主信通公が寛永十九年(1642)海添五味浦の馬場に行宮を建て、四代藩主良通公が神輿一基と鳥毛槍五十本を寄進し御神幸の儀を斎行したことが始まりと伝えられています。御寄進の鳥毛槍五十本は、関ヶ原の戦いのおり、当時美濃国上八幡の領主であった稲葉家の戦利品とされ、稲葉家の武勲の象徴とも言うべきこの槍の御奉納に、稲葉家の御崇敬の深さが偲ばれます。
祇園祭が定例祭典となったのは、承応元年(1652)からで、旧暦の六月七日~十五日までと定められていました。(戦後新暦祭日を採用するにあたり七月十七日~二十三日までと改めました。近年神幸祭・還幸祭を日・土曜日に充てるようになりましたが、十七日の御日が含まれる一週間を選ぶことにしております。)
その後、六代藩主友通公の頃から祭礼の規模を広げ、城下八町の山車行列などの催しも始まりました。この山車は踊山車ともいわれ、当時は御旅所前に駐めた山車の上で芝居の奉納も見られました。このように藩と領民が一体となって年々盛大になりつつ次第に現在の祇園祭の型ができあがってきたものと考えられます。
県下では、中津祇園祭・日田祇園祭とともに三大祇園として知られ、多くの観光客が訪れています。